愛の賛歌

「じゃあ全員で頭から入って。」 え・・・・? ああ、そうか・・・・・。 最初からと言う意味か・・・・・。 指揮者である金の妖主の言葉を理解するのに一瞬の間を要し、ラエスリールはあわてて楽譜を前にめくった。 父が指揮者を務め、母が伴奏者を務める合唱団に入ったものの、なかなかなじめずにいる上に、合唱団特有の言 葉や表現を理解するのに時間がかかる。 指揮者が「頭から」といえばその曲の最初からという、経験の長い者なら本能のように理解出来ることが、自分 には出来ない。 「ハイ、止めて。」 いまひとつパッとしない顔で、指揮者が曲をストップした。 「ええとねえ、アルトとテノールはもう少し押さえる。ソプラノは大きさはいいから揃えて欲しいんだよね。」 金の妖主はそう言って手元の譜面台を凝視する。 「ソプラノ・・・・・・、最初の3小節をサティンとラスで歌って。」 来た。 一人ないし二人ずつという練習だ。 ラエスリールのような内気な性格の者にとっては、どうにも委縮してしまうやり方だ。 おそるおそる、歌ってみる。 隣で歌うサティンの音は、とにかく正確だ。音をはずすことをしない。ピアノをたたくのと同じ音が、ぶれるこ となく口から流れる。一緒に歌うと安心だ。 「オーケー、じゃあサティンとリーヴシェラン。」 パートリーダーでもあるリーヴィの声は最もソプラノらしいピンと張った音だ。 サティンほどではないにしても音が正確で、個性があってアピール力がある声だ。 そのために・・・・・・ ラエスリールは歌う二人の両側でうつむいた。 ラエスリールの声とはあまり合わないのだ。 否、ラエスリールは入団以来、ひっかかっていることがある。 私の声質は、誰とも合わないんじゃないだろうか? 私のような異質な声が混ざることは、合唱団にとって迷惑なんじゃないだろうか? 「次、リーヴィとラス。」 リーヴシェランと併せて歌ってみる。何となくちぐはぐで、一本の線に聞こえない。 「合ってないみたいだわね。」 アルトから低い声が上がった。アルトのパートリーダーである翡翠の妖主の威圧感のある声だった。 「二人の声が全然揃っていないから、全体でも揃ってなく聞こえるんだわ。」 「そうと決まった訳じゃないわ。」 気の強いリーヴシェランがむきになって反駁する。 「一人一人微妙に違うのは当然よ。それを全体でどう合わせるかじゃない。」 リーヴシェランはきつい声でそう言い、だがラエスリールを一目みて睨んだ。 あなたのせいで恥をかいたじゃない、と言わんばかりで。 ラエスリールは申し訳なさそうにうつむいた。隣からサティンがそっと微笑んだ。 気にすることないわよ・・・・・・ 「今の段階では仕方がないな。それにアルトもテノールも揃ってるとは言いがたいぞ。」 指揮者の言葉にリーヴシェランがそれ見なさい、と言いたげな視線をアルト側に送った。 リーヴシェランが先程抗議したのは、負けず嫌いでアルトのパートリーダーにつつかれるのが我慢できなかった からなのだ・・・・・・、本心ではわたしの声が異質なのを煙たく思っているに違いない・・・・・・・ ラエスリールはますます暗い顔になった。 ここに入団して、いつもうつむいている気がする。 自分だけが浮いているような気がして、居心地が悪いのだ。 ふと、視線を感じた。 反射的に顔をあげた。 指揮者を囲んで半円形に立っているため、ソプラノとベースはほとんどとい面に立つことになる。 ベースの最も端に立つ柘榴の妖主が、彼女をじっと見ていた。 目が合うと、不敵そうに笑った。 なんだ!? 彼が自分を見つめてるとわかった瞬間から、なぜか鼓動が早くなった。 あの男、いったい・・・・・・・ ラエスリールが訝しんだ時だった。 柘榴の妖主が常の通り横柄に口を開いたのは。 「おい指揮者。」 彼の声は通る。一瞬の間が空く。 「何だ?」 蜜色に輝く髪をわずかに風に揺らし、指揮者が不機嫌そうに応じた。 「この2ページめの2段目、ソプラノとベースが音型揃うだろ。」 「あら、ほんとだわ。」 隣でサティンが楽譜を見ながらつぶやいた。 「八分音符が4つ、ソプラノの三度下をベースが歌うわ。」 サティンはラエスリールの楽譜を指さした。 指の先には、まったく同じ形に流れる音符が、ソプラノとベースの両方に見える。 「おれとラスで、ここを歌わせてくれ。」 え・・・・??? 闇主が続けた思いがけない言葉に、ラエスリールはびっくりして思わず顔をあげた。 「おっほっほ、いつも勝手気ままに自分勝手な音出してるあなたと、いつまで経ってもなじめないこの娘でどん なハーモニーが出せるのか見物だわ。」 翡翠の妖主がアルトらしからぬ甲高い声で笑うと、テナーの一角から少年の声が上がった。 「なじめないとは心外ですね。姉上の声は特別なんですよ。合わせられるのは私だけです。父上、私と姉上で歌 わせてください。」 弟の乱華が、ラエスリールを庇っているのだか自己主張をしているのだかはっきりしない発言をする。その声を、 翡翠の妖主は一睨みで潰そうとかかった。 「坊やとだけ合っても仕方がないのよ。だいたいソプラノ内ですら合わない声がこれ以上全体の完成に影響しな いようにしないといけないのではなくて?」 「まあいいだろう。いずれにしても、この部分のソプラノとベースが揃うことは重要なことだ。一人ずつやって みよう。」 指揮者はそう言って右手をピアノのほうに向かってあげた。 その手を見ただけで、ピアノの前に座っていたチェリクは二つの音を弾いた。ソプラノとベースの、最初の音だ。 抜群の息の合い方だ。 ラエスリールはおそるおそる、歌いだした。すると、ふわりと乗せるような声が対面から聞こえてきた。それは、 緊張してガチガチの彼女の声を、下から抱きとめるかのような力強いがやさしい音だった。 途中からラエスリールは、安心している自分に気付いた。 この音に乗っかっていれば、ちゃんと歌える・・・・・。 そんな気がしてきた。 そして連続する4つの八分音符。 歌詞は"angelum"。 天使という意味だ。天から降りてくる天使。 そっと階段を降りるような下降音型の八分音符を、ラエスリールは難なく降りた。 三度下を、支えるように降りていくベースの音があったからだ。 「ハイ、ストップ。」 指揮者が止めた。 奇妙な沈黙が一同を覆った。 あっけにとられて、誰も何も言えない。そんな雰囲気であった。 ラエスリールは不安そうに辺りを見回した。 わたしはまた、皆を煙たがらせる異質な声を出したのだろうか・・・・?? ヒューッ、 テナーの一角から、口笛の音が響いた。テナーのパートリーダーをしている紫紺の妖主が発したものだった。そ れを、翡翠の妖主が睨みつけた。 やがて、金の妖主が指揮台に手をかけ、面白くなさそうにこうつぶやいた。 「紅の、そなたでも、他人に合わせることが出来るのだな・・・・。」 え・・・・? 合っていた・・・・・? ラエスリールの心臓が跳ね上がった。 「ラスの声だからね。」 闇主が不敵に笑ってそう断言した。 「おれが合わせたい、と思った声が今までなかっただけの話。」 にやりと笑って、柘榴の妖主が言うと、全員の視線が彼に集中した。だが彼はそんな視線など一切無視し、まだ 額から汗を流しているラエスリールに向かって片目をつぶってみせた。 視線が合うと、鼓動が早くなるという不可解な現象にラエスリールは混乱した。 何故だ・・・・? いったいなんなのだ・・・・? 「ねえねえっ!」 テナーから威勢のいい声が入り込んだ。 邪羅だった。 「テナーとソプラノもここの直前で合うだろっ!おれも姉ちゃんとここ歌う!」 「他人の姉上をなんで貴様が姉ちゃん呼ばわりするんだ!」 隣に立つ乱華が横から遮るが、そんな子供の喧嘩には目もくれず、 「じゃ、次セスランとサティンで。」 練習は続いていった。 休憩時間に入った。 ラエスリールはおそるおそる、サティンに尋ねてみた。 「サティン、さっきのは・・・・、合っていたのか?」 闇主と二人で歌った時は、自身は緊張で無心だった。 でも、闇主の歌声に乗っかるように歌ったら楽だったのは事実だ。 「合っていたというか・・・・・・、本能的に一体と化していたのよあなたたち。」 本能的に一体・・・・・・? 思いがけないサティンの言葉にラエスリールは再び動揺した。 「普通はねえ、努力を重ねて少しでも『一体』に近づけるものなのよ。素人の団体だし、完璧にはならないわ。 でもねえ、さっきは、はじめて合わせたはずなのに、まるで最初から『一体』だったかのように、スパーンと・ ・・・・・」 注意深く相手の音を聴いて、辛抱強く相手の音に合わせようと努力して、始めは10回に1回、綺麗に揃った音 が出る。それが5回に1回になり3回に1回になる。 だがさっきの音は・・・・・・・、 はじめから、一緒に歌うために生まれたかのような、完璧なハーモニー・・・・・ 先刻闇主と二人で歌った時の、あのふわりと抱き上げられるような感覚を思い出し、なぜかそれだけで鼓動が速 くなった。 なんなのだ?これは・・・・??? それからしばらく経って次の練習日。ラエスリールは早めに練習場に着いてしまった。すると、練習場からピア ノの音と声が聴こえて来ることに気付いた。 聴いたことのある歌だ。 テレビコマーシャルでもよくかかる。 オンブラ、マイフ、 覗いて見ると、ピアノを弾きながら歌っているのは闇主だった。 だが普段の練習で聴くのとは一味違う声で、ラエスリールは戸惑った。 なぜか心にさざ波が立つ、艶っぽい声。 心ではなく、脳天に響いて来るような感覚。 しかも甘く痺れるようで・・・・。 「ラス、いたのか?」 急に闇主に呼びかけられてラエスリールははっと首をすくめた。 「あ、あの・・・。」 「うちの団のレパートリーは時化てるからな。たまに、こんな歌も歌ってみたくなる。」 もっと聴かせて欲しい・・・・ 突然に心に沸き起こった願望に気付き、ラエスリールは急に気恥ずかしくなって顔を赤くした。 だが闇主はそこで、思いがけないことを口にしたのだ。 「どうだ?ラスも歌ってみないか・・・?」 「えっ・・・・」 「おまえ、練習のたんびにビクビクしてるだろう・・・?」 図星なことを言われ、ラエスリールの頭はパニックになった。 「周りと合わないんじゃないかって、いつも怯えているだろう。」 自分が困っていること、それをうまく言葉に出来ないのは昔からで、そしてそれを理解してくれる人に出会うこ となど皆無だった。 嬉しいはずだった。 自分が困っているのを理解してくれる人がいれば、嬉しいはずだった。 だが、ラエスリールは逆に困ってしまった。 そんなことが今までなかったから、どう反応して良いかわからなかったのだ。 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、闇主はにやりと笑うと一枚の楽譜を渡した。 「おまえの本来の声は・・・、ずっと艶のある魅力的な声のはずなんだ。」 「えっ。」 「この歌をソロで歌って見ろ。何も気にせずな。誰にも合わせる必要なんてないし、怯える必要もない。『おま えの』声で歌うんだ。」 「あ・・・うん。」 闇主はピアノを弾き始めた。そして、最初の部分を歌い出す。 団の練習で歌っているラテン語とは違う、イタリア語の歌詞。 闇主の声はラエスリールに、さあおいで、心配するなと誘っているようだった。 あの練習の時にも感じた、そっと抱き上げてくれるような、おだやかな低音。 それに導かれ、ラエスリールは歌い出した。 オンブラ マイフ ディヴェジェ タービレ カーラエド アマービレ ソアヴェ ピュー 彼女を導いていた闇主の声はいつの間にか消えていた。 それどころか、闇主は途中でピアノを弾くのもやめた。 ピアノを弾かず、闇主はただじっと、歌うラエスリールを見つめていた。 必死で歌っていたラエスリールが、自分を見つめる闇主の目に気付いたのは歌い終わった後だった。 歌い終わっても何も言わず、闇主は熱く燃え立つような目をラエスリールに向けているだけだった。 「あ・・・、やっぱり、下手だよな、私は・・・、だって・・・・。」 「ラス。」 ラエスリールがおずおずと言葉を紡いだのをきっかけにして、闇主はふいに動いた。そしてにやりと口元を緩め ながら尋ねた。 「おまえ、この歌の意味、知ってるか?」 え・・・・?? ラエスリールはその時はじめて気付いた。 歌の意味も何もわからず、ただ必死に歌っていたことに。 「あ・・・・。」 小さく戸惑いの声をあげたラエスリールの顔に、闇主はさっとピアノの椅子から立ち上がって触れた。 えっ! ラエスリールが反応する間もなく、顎がくいと持ち上げられ、一瞬のうちに唇が塞がれた。 「あ、闇主!」 思わず逆らおうとした手は男の長い腕に阻まれた。 「や、やめ・・・。」 抗議の言葉を紡ごうとした唇は再び塞がれ、舌を絡められた。 絡めながら、深く吸い付くようにさらに口付ける。 ラエスリールは引き離そうとして手に力をこめたが、逆に長い腕で腰を抱き寄せられた。 やがて、腕の力が抜けた。 そして、 「あ・・・んっ。」 耐えきれず自分が漏らした声の、自分でも聞いたことのない甘さにラエスリールは驚いて身を竦めた。 竦めた瞬間に男の抱く腕の力が弱まり、ラエスリールは身を翻した。 いや、翻そうとした。 逃げようとした彼女の華奢な身体は、男の腕に背中からふわりと抱き留められた。 たった今腰を抱いていた時の強い力とは正反対の、柔らかい力。 だがその柔らかさの中に、頭の中まで蕩けそうな温かさがあった。 「あ・・・んしゅ、放して・・・・。」 「ラス、さっきのがおまえの本当の声だ。」 抱く腕を緩めないまま、彼女の耳元で闇主は囁く。 「え?」 「さっき歌っていたあの声が、おまえの声だ。清廉で誇り高くて・・・、けれど深くて艶っぽい・・・、あれが おまえの声だ。」 言いながら、闇主はラエスリールの首に唇を落とす。 「何を・・・・、」 言ってるんだ・・・?? 問おうとしたが、心臓の鼓動が早くなったまま止まらず、ラエスリールは言葉を紡ぐことが出来なかった。 「おれは、あれが聴きたいんだよ。」 耳元で闇主が、苦しげにも聞こえる声を絞り出す。 「あれを、ずっと聴いていたいんだ。ラス。」 抱き締める腕は、強くなるいっぽうだった。 「闇主、痛い・・・。」 やがて、遠くから人の声が聞こえた。 練習にやって来るメンバーたちの声だ。 闇主は、名残惜しそうに腕を放した。そして、ピアノの譜面台に乗っていた楽譜をとり、ラエスリールに渡した。 思わずラエスリールが受け取ると、闇主はもう一度掠め取るような口付けを唇に落とし、にやりと笑って言った。 「また聴かせてくれ。ただし、他の男には聴かせるなよ。わかったな。」 「あ・・・。」 ラエスリールが固まったままでいる間にメンバーたちが集まり、練習が始まる時間となった。 「なあに、ラス。それは。」 いつも通り隣に座ったサティンがラエスリールの手にある楽譜を覗き込んだ。 「あら、オンブラ マイ フ?」 「これ、オンブラ マイ フっていうのか。テレビでよく聴くけれども。」 「ヘンデルが作曲していて、とても荘厳なメロディーだから、宗教曲を歌っているような厳粛な気持ちになるわ ね。でもそれはワナで、実は恋の歌だっていうのがこの歌のミソよ。」 悪戯っぽくサティンは微笑む。 「これは、恋の歌なのか。」 大まじめなラエスリールの問いに、サティンは吹き出した。 「直訳すると、『木陰の下。素晴らしくもいとしき、この木陰の下』なんだけど、『カーラ』と『アマービレ』 っていう、普通は恋人を指す言葉の部分で曲が大盛り上がりしていくでしょう。だから、これを聴いた人は、自 分への愛を歌ってくれたのではないかと、勘違いをしてしまうのよ。」 ラエスリールの頬が、目に見えて赤くなる。 「ていうか今では、どれだけ愛の歌だと勘違いさせるかがこれを歌う歌い手の技を測る物差しになるわ。どの歌 手も、すごく色っぽい歌い方をするものね・・・ってラス、どうしたの?顔が赤いわ。」 「いや、なんでもない。」 「ちょっともしかしてラス、誰かにこの歌捧げられたの!それだったら凄いわ。あなたにだって春が来てもおか しくな・・・・。」 「なんでもないんだ。」 サティンの顔を正視できず、ラエスリールは黙った。 「・・・・か?」 はっ 父の声に、ラエスリールは慌てて顔を上げた。 頭がぼうっとして、今日の練習には身が入らない。指揮者の言葉が、耳に入って来ない。 「もう少し、色気が出ないか、ソプラノ。」 指揮者の声がおだやかに響く。 「色気・・・ですか?」 サティンの問いに金の妖主が頷く。 「うむ。この歌はたしかに、聖母マリアの信仰告白という敬虔な歌詞だけれども、かといってソプラノの声が子 供っぽくてもいけないんだな。」 「仕方がないわね。ソプラノは子供しかいないもの。」 アルトから、翡翠の妖主の嫌味が飛ぶ。 「おばちゃんしかいないアルトより瑞々しくていいんじゃん?」 邪羅がまた余計なことを言って睨みつけられる。 その時、ピアノの前に座るチェリクがにっこり笑って問いかけた。 「secundumの意味を知っている?ラス。」 頭の中を回っているのは、先ほどのオンブラ マイ フ。しかし、今練習しなければならないのは、聖母マリア が天使ガブリエルに語る信仰の言葉。敬虔な気持ちにならなければ・・・・。 さらっと対訳表をめくる。 「secundum・・・・従うという意味です。」 「そう、あなたの言葉に従います、という意味なの。でもね、今の歌い方じゃ全然その気持ちが伝わって来ない から、いっそのこと、『あなたについていきたいの』という気持ちで歌ったらどうかしら。」 「え・・・。」 「大好きな人のことを思い浮かべるのよ。」 チェリクの思いがけない言葉にソプラノの三人は言葉を失う。 早速テノールから邪羅の茶々が入る。 「あっはっはー、お子さまじゃーあまり効果ないんじゃないのー。」 「あんただって子供じゃないのよっ!」 リーヴィが真っ赤になって立ち上がり、怒鳴りつける。 「ベースはこの部分、鐘を鳴らしてくれないか。」 その時、指揮者が不思議な言葉を口にして、一同は顔を見合わせた。 「ああ。」 パートリーダーのセスランが納得したように頷く。 「ベースの音は、カーン、カーンって鐘を鳴らしているような音型なんですね。他のパートは音が動いているけ れど、ベースだけは同じ低音をずっと鳴らしているだけ。」 「何言ってるんだ。ここはベースの聴かせどころ。女声を下から抱きかかえるようになっているんだぜ。」 闇主がにやりと微笑んで異論を唱える。 するとテノールのパートリーダーである紫紺の妖主が不本意そうに口を挟んだ。 「何を言うか。同じ音型で女声のすぐ下を支えているのはテノールではないか。」 「そうだそうだ!」 いつもは意見の合わない紫紺親子の声が揃う。 「ベースは荘厳な鐘を鳴らすつもりで歌え。」 不毛なやり取りに終止符を打つように、指揮者が割って入った。 「テノールは俺が主役だ、のつもりで歌え。」 「任せてくれ!」 邪羅の即答に、しかし指揮者の釘が刺さる。 「ここだけだぞ。女声は・・・・」 そこで金の妖主はにやりと笑う。 「女声は、さっきチェリクが言ったように、あなたについて行きます、の気持ちだな。抱きかかえてるのが一緒 にくっついてくるテノールなのか下でズシンと支えてくれてるベースなのかは、どっちでもいい。好きに考えろ。 」 「父さま・・・・?」 理解不能な指示を出され、ラエスリールが戸惑った声を出す。そんな娘の表情には目もくれず、指揮者は飄々と 言った。 「また一人ずつ合わせる。ソプラノはラスだ。」 「えっ・・・・!!」 「アルトは、白の方。」 すっと、不機嫌そうな顔のまま、白焔の妖主が立ち上がる。 「テノールは・・・・。」 言う前から、紫紺の妖主が立っていた。当然自分だと言わんばかりに。 そして、ベースの位置から闇主が、当たり前のように立った。そして、ラスに一瞥をくれる。 見つめられた瞬間、ラエスリールの鼓動が速くなった。 練習前の風景が、急に甦った。 誘いかけるような優しい闇主の声と、自分のものとは思えなかった、艶めいた自分の声。 抱き締められた腕の温かさと、触れられた唇の甘さ。 ラエスリールの顔がかあーっと熱くなった。 とても、一人ずつで合わせる練習などできそうにない。 しかし、指揮者は容赦なく棒を振る。 ラエスリールは、ガチガチになりながら歌いだした。 途中から闇主の声が下から響いて来ると、先刻の情景がまざまざと甦って来て、何も考えられなくなった。火照 った顔のまま、歌い続ける。 secundum verbum tuum あなたの言葉に、従います・・・・ 本当は敬虔な神への祈り。 それなのに、聞こえてくるのは先ほど母が少女のように首をかしげて発した「あなたについていきたいの。」と いう言葉。 歌い終わると、一座はしーんと静まり返ってしまった。 セスランが、面白そうに笑って手をたたく。 「良いハーモニーであったな。」 白焔の妖主が、表情を変えずに、だが満足したふうな声音で感想を述べる。 ラエスリールはびっくりした。だが、純粋に嬉しいと思った。私の声でもハーモニーが作れるんだ・・・・、認 めてもらえたと思った。 だが、続く指揮者の苦笑混じりの言葉は、ラエスリールに再び衝撃を与えた。 「ラス・・・・今のは、色気がありすぎだ。」 「えっ!」 自覚のなかったことを指摘され、しかもその意味が正確に把握できず、ラエスリールは固まった。 「聖母マリアは乙女なのだからな。そこまで艶を乗せなくても宜しい。背中がゾクゾクするようで私としては嫌 いではないが、この歌はもうちょっと・・・な。」 そう言って再び笑う。 他のメンバーもくすくすと笑った。 これまでの、ハーモニーが合わないラエスリールへの失笑と異なり、それはどこか温かい笑みだったのだが、思 考能力の停止しているラエスリールに、そのことに気付く余裕はない。 「あ・・・・。」 何も言えないまま、固まるしかなかった。 休憩時間になった。 リーヴシェランが、隣りから話しかけてきた。 「ラス、指揮者はやりすぎって言ってたけどさっきみたいな声で歌ってくれると、私は合わせやすいわ。」 「え?!」 意外なことを言われたと思った。他人に合わせようなどと全く思わないで歌った声なのに。 「今までのラスって、なんかこう安定してなくて、どうぶつかっていったらいいか判らなかったのよ。」 「ぶつかる・・・??」 「さっきみたいにパーンって『おおこれがラスだあ』って声を出してくれると、私も私の声をそこにぶつけちゃ えるのよ。同じパワーで音がぶつかれば、声質が多少違ったってステージではハーモニーになるってものよ。」 「そ、そうなのか・・・?」 ラエスリールにはよくわからなかった。しかし、パートリーダーのリーヴシェランに認められるのは嬉しかった。 一つ、戸惑いは消えなかったけれど。 『あれ』が『これがラスだあ』と言えるわたしの声なのか・・・? 自分では赤面せずには歌えず、その自覚もないのに、他人がぞくぞくするという、艶っぽい声。 一人で椅子に座ったまま、まだ落ち着かない鼓動を収めようとしているラエスリールに、背後から近づく者があ った。 闇主だった。 彼は、にやりと笑って言った。 「見てろ。これからおまえの声にみんな付いてくるようになる。」 「え?」 「おまえの声は、みんなが付いてくる声だ。おまえが、ここの女王になるんだ。」 やはり、意味不明のことを言う。 「あーあ。」 そして闇主は一瞬ため息をついてさっと身をかがめると、ラエスリールの耳元でやや剣呑な声を発した。 「おれ以外の男に、『あれ』を聴かせるなと言っただろう。」 思わずビクっと身を竦ませ、ラエスリールは焦ったような声を出す。 「ご、ごめんなさい・・・・・。」 一瞬、闇主はじっと彼女を見つめた。そして問う。 「ラス、おれがなんでこんなことを言うかわかっているか。」 え・・・?? ラエスリールは心底からの戸惑いを顔に浮かべて闇主を見つめ返す。 その表情に、闇主は苦笑した。 「おれは、ずいぶんと前途多難だな。」 そして意味不明の言葉を残し、去った。 なんのことだ・・・?? 「そろそろ本番の並びを決めておかないとな。」 指揮者が言った。 隣に立つのが誰かによって、微妙な音を合わせるための耳も鍛えておかねばならない。 ラエスリールは最も端に立たされた。今までは、異質でなじめない声をカバー出来るように、リーヴシェランと サティンにはさまれていたのだったが。 テノールの並び順を決めるところで、もめ事が起きた。 「だからパートリーダーのそなたが真ん中に立たずにどうする!」 指揮者の指示にふれくされているのは紫紺の妖主だ。 「わたしは白煉の隣りで歌えると思ったから入団したのだぞ。何故わたしがこんな子供に囲まれて歌わねばなら んのだ。」 「バーカ!父ちゃんがこっちに立ったら、母ちゃんに触ったり話しかけたりセクハラに及ぶからじゃねーか。お れが母ちゃん守るためにこっちに立たなくちゃ!」 「何をぬかすか。子供の分際で!」 「ちがーう!」 不毛な親子喧嘩を、金の妖主が怒鳴り声で止めた。 「声のバランスを考えてるんだ!良いか!」 黄金色の瞳が彼らを一睨みし、一際大きな声が響き渡った。 「練習にはいっさい私情を挟むな!わかったな!」 紫紺の親子はその一喝に肩を竦めた。 聞いていたラエスリールまで、先刻の、闇主の腕や唇を思いだしながら歌った練習を思いだして、再度赤面した。 「一回通す。本番は近いんだぞ。気を抜くな。」 冷徹ともいえる口調で指揮者はそう言い、だが何か気付くとポケットからメモ帳を取りだし、何事かを書きつけ た。そしてそれをピアノのところにいるチェリクに渡す。見たチェリクは緩やかに微笑む。 ・・・・ピアノからの音だしの打ちあわせだろうか。 いつも、この指揮者と伴奏者の息はぴったり合う。指揮者の持っていきたい方向へ歌っている団員を導くため、 ピアノが率先して引っ張ることもある。 「父さまと母さまに比べ、私は修業が足りないよな。」 少しだけ落ち込むラエスリールだった。 練習が終わった。 各自、片づけに入る。椅子を片づけ、ピアノを隅に移動する。 ふと、指揮者が既に練習室にいないのをラエスリールが発見した。見ると、チェリクもそっと出ていこうとする ところだった。 「母さま。」 ラエスリールが問い掛ける。 「みんなとお食事していかないのですか。」 練習が終わると全員で行きつけの居酒屋で一杯やってから帰るのが通常だった。 チェリクは、困ったように微笑んだ。 「ラス、ちょっとみんなには内緒ね。今日は父さまと二人だけでお食事をしようと思って・・・・。」 恥ずかしそうにうつむき、母は娘の口に指をあて、口止めの合図をしてみせた。 「みんなに引き留められないように、片づけの最中に抜け出しましょうってさっき父さまがメモを渡してくださ ったのよ。」 「・・・・・・・。」
END
参考曲 Dixit Maria(Hans Leo Hassler) Ombra Mai Fu(G.F.Handel)

 
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わーい、は〜さん有難う!!!
演奏会行けなかったのにこんなにも素敵な小説を頂けるなんて私はホント幸せ者です。
音域がそれぞれのキャラに合っている効果もあって、みんな生き生きしてると感じました。
それに、濡れ場(笑)のラブシーンはドキドキしました。
やはりは〜さんの書かれる世界は構成がしっかりしてて美しいなーって改めて再確認したですよvv
捧げて下さるという小説の方も楽しみでなりませんへ(≧◇≦)へ

注釈:タイトルは御本人様の意思ではございません。素晴らしい内容に適していませんが御了承下さい。