未来へのプロローグ
「ちひろー。無茶しちゃいかんぞ!川にはいると危ないからなー。おい、千尋??」 ひょこひょことお気に入りの赤いくつ川辺を歩く幼い娘にむかって父親がこえをかけた。 だが娘の方は初めて見る川原に敷かれた奇麗な石に夢中で父親の声など耳に入ってない ようである。 「あなた。大丈夫ですよ。千尋は恐がりですから、言われなくても水に入ったりなんか しませんよ。」 「あはは。まぁ、そーだろーなー。こんな景色を見ることなんか滅多にない都会っ子だ からなぁ。」 「えぇ、だから心配ありませんよ。それよりあなたこの間入院された課長さんのお見舞 いなんだけど・・・」 「あぁ・・・・・」 さらさらさら。 美しい水面に滴が光る。 琥珀川――その清らかで静かな外観とは対照的に少々急な流れのためにあまり人の訪れ ることのない川である。 小さな女の子が水面に顔を映した。 ゆらゆらと揺れる自分の顔がおかしいのか、きゃっきゃっと声を立てて笑う。 幼い客人への心配と、物珍しさが相成って、この琥珀川の化身であるニギハヤミコハク ヌシはその幼女の側に近づいた。 「だーれ?」 驚きに目を見張った。 純粋な瞳を持つ子供には、まれに精霊や神などをみることができるということは知って いたが、今まで琥珀にまっすぐ視線を合わせた人間などいなかったのである。 そもそも、人とは自分とは違うものをおそれる臆病の生き物であると聞いていた。 己の本性であるこの龍の姿をみてただ純粋に好奇の瞳を向けられることなど考えたこと もなかった。 焦って視線をさまよわせたが、流れる水音にかき消されたのかこの幼児の両親には娘の 声は届かなかったようである。 「あなたはだーれ?」 反応のない相手をさらによく見ようと幼女が水面へと体を傾けるのに慌てる。 「あたちはちひろ。」 「琥珀川」 にこにこと邪気のない笑顔を向ける千尋につい毒気を抜かれ琥珀は返事をそう返事を返 した。 「こあくかわ?」 「琥珀川だ」 やっと納得したのか、一心に琥珀の瞳をとらえていたその瞳をそらした。 「あのねぇ、これちひろのなの」 と、なにやら下を向いてごそごそとしていた千尋が新品の赤い靴を琥珀へと差し出した。 「はい。」 わっと思ったが琥珀には靴を支える現身(うつしみ)の手はない。 ポチャンッと小さな音を立てて靴が川の流れに落ちてしまった。 「あーー。」 バチャーン 琥珀が慌てて靴を岸への流れに乗せようと目を離した隙をついて、千尋はその小さな体 を川へと踊らせてしまった。 「ちひろー!!!!!」 「千尋っっ!!!!」 今度こそ違えようもないその水音を聞きつけて両親が一斉に悲鳴を上げた。 驚きのあまり一瞬遅れた琥珀の魔法の救い手をすり抜けて千尋はその急な流れに乗って しまった。 小さな体はその水の中であまりにも儚い存在で簡単に押し流され、その水底へと飲み込 まれてしまいそうである。 川の化身とはいえ自然の摂理のうちにある水の流れ全てを操るわけではない琥珀である。 千尋を助けるためには自分で岸へと押してやなければならない。 あの輝く笑顔の喪失をおそれ、琥珀は生まれてから初めてと言っていいくらい必死に千 尋へと翔た(かけた) ゴボゴボッッ。 「大丈夫だ。そなたは私が助ける」 琥珀は小さな手足を精一杯ばたつかせて生きようとする千尋を銜えてそんな思念を送っ た。 恐慌をおこしてもがいていた体がピタリと止まって琥珀へと全身が預けられた。 小さな体が暴れて水中の石などで傷つくことを心配した琥珀は安堵とともに千尋をそっ と岸へと押し上げた。 岸辺で右往左往していた両親が駆け寄ってくる。 「千尋っっ!」 「うわぁぁぁん」 火がついたように泣き出した娘を見て母親はへたり込み、父親は娘を抱きしめた。 琥珀もその光景をみてほっとしたように肩の力を抜く。 千尋が無事でよかった。 彼女が自分の川で命を落とすようなことがあったら耐えられないと思った。 小さな水の流れとともに生まれ、時の流れとともに留まることなくその静謐な水のうち にあった琥珀が心を揺り動かされた初めての記憶である。完
〜著者・美唯紗さんのコメント〜 映画「千と千尋の神隠し」の千尋とハクの出会いを思い浮かべてのSSでした。 宮崎映画の中でも対象年齢が低い割には、らぶらぶ全開に感じるこの映画ですが、私は大 好きです。 いや、宮崎監督の映画はたいてい好きなんですけどね(笑) それで気になったのが2人の出会いとその後でした。 千尋にとっては、ハクは孤立無援な異世界で唯一自分に味方してくれるかっこいい存在、 となれば好きになって当たり前という気がしますが、私が気になったのは、ハクにとって の千尋の存在です。 なぜ、自分の名前も記憶も奪われたハクが千尋のことだけは覚えていて、あんなに好きな のか?(笑) ハッキリ言ってめちゃくちゃ気になりました。私的にはやっぱりめちゃくちゃ劇的な出会 いを希望! ハクの長いけど何もかも客観的な人生(?)のなかで唯一鮮やかな記憶が千尋だったって ことでもいいんじゃないかなと思ってこれを書きました。 しかも、劇的といっても幸せなばかりじゃありません(爆) 私が想像したその後の流れというのは、琥珀は千尋に姿を見られ、自然に反してその命を 救うという行為の代償のために、己の存在意義である琥珀川を奪われたのではないでしょ うか? 今回はラブストりー(?)をめざしたのでそんな解釈は入れませんでしたが、それくらい 強烈な記憶であれば、琥珀が千尋のことを覚えていても不思議じゃないかなと思いました。 でも、琥珀は千尋を助けたことも、再び千尋に出会ったことも後悔はしてません。えぇ、 絶対。(断) もちろん、その後では2人全てを乗り越えてラブラブしてほしいとおもっています!
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